2014年1月5日日曜日

1月3日、山の家新年会に46人

山の家始まって以来の新年交流会。
おとな33人、こども13人、
合計46人もの方に参加いただいた。

もちろん机も椅子も足りず、
隣のフレンドハウスから運び込んだ。

恊働から保育士さんにも来ていただき、
託児体制をとって、親御さんたちには
ゆっくりくつろいでいただいた。

札幌などに避難移住された4家族、
余市や仁木町、赤井川村の8家族、
そして札幌恊働福祉会(略称:恊働)の面々。

午前11時のそば打ちからはじまり、
午後7時までの長丁場だが、
あっという間に時間は過ぎていった。


打ち立てのそばをお昼に食べた後、新年交流会。
それぞれに自己紹介をしていただき、
その後の交流では、各テーブルで歓談の花が咲いた。
最後はビンゴゲームで大いに盛り上がった。


仁木町・余市町の若い人たちのネットワーク、
地域をどう活性化するか、真剣に考えている。

余市町登地区で新規就農、エコビレッジ余市ハル農園の
笠小春さん。今年は農家での避難保養スティを考えている。

《北海道〜福島野菜便》で大きな力を発揮していただいている安斉夫妻

自己紹介する、昨年9月に札幌に移住されたWさん。

持ち寄り料理、手づくりの「りんごタルト」にチャイも。

自家製ワイン、この他にもいろいろあった中で
200%トマトジュースの甘さにはびっくり!

いつまでも話しは尽きない

2階のラウンジは子どもたちの遊び場

2歳になったばかりのKちゃんがビンゴの係。
そういえば受付係で大活躍したのは年長のRクン(写真下)。


ビンゴ!!! どれにしようかな?





2014年1月2日木曜日

フクシマのお母さんからの手紙(2)


娘たちへ…

あなたたちを守りたい。
ただただその一心で
生後5か月の妹を
無理やりおんぶして、

2歳4か月のお姉ちゃんを
ベビーカーに乗せて
郡山の家を出てから
2年近く。

大好きなお父さんと
離れ離れの避難生活、
本当によく頑張ったね。

半年の間に8回の
引っ越しを繰り返して、
時には120世帯を超える
家族との共同生活。

まだ聞き分けも
できなくて、
でも他の人に迷惑に
ならないように
ならないように…と

家にいたなら、
お父さんと一緒だったら
叱らなくてもいいような
ことでたくさんたくさん
叱ってしまって…

それでも
お母さん大好き!と
胸に飛び込んできてくれる
あなたたち…

たくさんたくさん
我慢をさせましたね。

母子3人での避難生活に
区切りをつけて、
郡山の自宅に戻って
5ヶ月近く

もう、「静かにしなさい。」
「走っちゃダメ。」
なんて言わなくてもいい。

リビングを走り回って
大声で笑って、
お父さんに
たくさん甘えて、

家族が家族らしく
言われる場所に
居られることの
ありがたさを
痛感しています。

でも…寝る時、
毎晩のように
「ずっと郡山?」と
不安げな瞳で
あなたたちに聞かれる度、

どれだけの我慢を
させてきたのだろう、
と胸がキュンとします。

お天気が良ければ
庭に出て
芝生の上を転がって、
ウッドデッキで
昼ご飯を食べて…

そんな何気ない
日常の幸せを
全部奪われてしまって。

誰を責めたらいいのか…
ひとたび事故が起きれば
誰も責任を
取ってくれないことを
痛感する毎日。

一歩外に出れば
風の強い日にはマスク。

放射能オバケがいるから
石も葉っぱも
花を摘むこともできない、
公園で遊べない暮らし。

幼稚園が変わった
お姉ちゃん、
園で描いてきた絵。
「これは誰?」と尋ねると、

描かれたお友達を
指しながら、
新潟で仲良くしてもらった
お友達の名前を
ニコニコしながら
挙げるお姉ちゃんに、

親として
郡山に戻るという判断は
本当に正しかったのかと
涙がボロボロと
こぼれました。

戻ってきた決断が
揺らぐとき、
新潟で支援してくれた
ある人の言葉を
思い出します。

「みんな、今、
一番ベストな道を
考えて選択している。
この選択こそが
ベストなんだって思って、
その選択に自信を持って。」

郡山に戻ることを
決めたものの
気持ちが揺らいでいた
お母さんに、
そう言ってくれました。

その他にも
ここには書ききれないほど
多くの人たちに
支えられて励まされて、

今ここに
お母さんと
あなたたちがいます。

みなさんに
助けていただいたおかげで
今の自分がいます。

そういう方々に
元気でやっていますと
笑顔で胸を張って
成長の報告が
できるような人で
あってほしい。

困っている人がいたら、
悩んでいる人がいたら、
あなたたちのできる範囲で、

励まして
勇気を与えることが
出来るような存在に
なってほしいと
お母さんは願っています。

フクシマのお母さんからの手紙

いい?
覚えておいてほしいことがある。
2011年3月11日、地震が起こります。

いい?
地震の後、
福島第一原発が地震をおこし
爆発します。

そして
どれほど危険かわからない、
目に見えない放射性物質が
ばらまかれます。

いい?
決して原発は
安全だから大丈夫だとか、
何かあれば国が守ってくれるとか、
そんなことを考えないでね。

守ってくれることに
期待してはいけません。

「安全です。
子どもは外で遊んでいい。」
と平気で言うでしょう。

でも、お願い、
子どもを絶対
外で遊ばせないでね。

そう。
今、私が手紙を書きたいと
思う相手は、
地震が起きる前の
原発に対して
全く無知だった私。

わからなかったとはいえ、
子どもを被曝させてしまったという
事実を変えたい。

でも、
変えられない現実。

私は福島から
すぐに避難することが
できなかった。

私たち、家族の
住んでいた所には、
強制避難区域の方々が
続々と避難してきていた。

自分たちが
避難しなければという
思考にはならなかった。

そして私は、
原発の事故がどれだけ
恐ろしいものなのかも、
全く知らなかった。

それどころか
自分の住んでいるところが
原発から何キロの所に
あるか知らなかったし、
福島原発が東京の電力を
作っていたことさえ
知らなかった。

原発に対して、
どれほどの無知で
無関心だったかと
悔やむばかりの毎日。

原発の事故さえなければ。
そもそも原発なんて
危険なものがなければと。

これは
夢であって欲しいと
思いながら
毎朝、目を覚まします。

一生消えない後悔。
この先、
何世代にもわたり続く
健康被害への不安。

できることならば、
この手紙を
3.11前の私に
渡してほしい。

原発の事故が
防げないのなら、
せめて大切な子どもを
危険から
守ってあげたかった・・・。

※手紙を募集したのは、
福島の母親と子どもたちを
支援してきた「福島乳幼
児妊産婦対応プロジェクト」。

2014年1月1日水曜日

大晦日

3a!郡山から
メール便が届いた。














中に入っていた立派な台紙を 開くと
3a!の事務所に届いた野菜の写真と
会員のお母さんたちのメッセージが
たくさん貼られていた。


どれも<北海道〜福島>野菜便の
お礼のメッセージ。

グンジ  エリさんは
素敵な絵を送ってくれた。


こんなに喜んでもらえるなんて!
来年も新鮮で安全・安心の野菜を
心の寄り添いと一緒に届けますよ!

同封されていた「3a!in郡山」のパンフ。「話そう不安なこと。ひとりじゃない
 スリーエー郡山」というメッセージがいい。

2013年12月30日月曜日

12月29日出発の日

1週間の保養避難生活を終えて
苫小牧港からフェリーに乗って
帰路につく日。

玄関には荷造りを終えた
子どもたちの荷物が出発を待つ。


ところが
出発までのわずかな時間を惜しむかのように、
2人はいつまでもいつまでも
雪とたわむれている。

服は雪でびしょびしょ。
手袋もつけない手は
冷たくかじかんでいるのに。

帰りたくないという気持ちが
ビンビンと伝わってくる。


2013年12月28日土曜日

日々成長著しいさくら

北海道犬<さくら>が
山の家に来たのは8月3日だった。

初めて山の家に来たさくら(生後2週間)
保養キャンプの子どもたちは大喜び。
でも、まだ小さいので、その日のうち
にサクラは札幌に帰った。
10月4日晴れて山の家の住人となったさくら
お茶目な女の子、いい顔つきだ
さくら、山の家の初雪(11月上旬)
11月13日、さくらも5カ月
そして12月29日、大きくなったさくら
奥のチャッキーとくらべても見劣りしない

アートな時間

<おもいっきり冬休みin北海道>は
明日で終わり。

子どもたちは
午後には苫小牧港に向かって、
バスで移動する。

最後の日の今日のプログラムは、
碓井良平画伯の「アートの時間」。

子どもたちは和紙に墨で
思い思いの文字や絵を書く。

その作品を物干し台にくっつけると
ひとつのオブジェができあがる。

ごくごくありふれたものを使って
思いもかけない作品をつくりあげる
いつもの碓井流。

子どもたちの創造性が
花開く瞬間だ。