「うけいれ全国」運営会議の翌日、四日市市から電車で1時間ほどの伊勢市で「市長と避難者の懇談会」が行われた。
運営会議に参加する私は、そのあと伊勢市に足を伸ばして、一昨年の札幌協働福祉会主催の夏休み保養(仁木町“山の家”)に参加し、その後伊勢市に避難したT君に会いにいくつもりだったので、懇談会にも出席させてもらうことにした。T君のお母さんに電話するとお母さんもその懇談会に出席するとのこと、実にいいタイミングで再会の場が持てることになった。
この懇談会は、保養キャンプや避難者の受入れ、被災地への野菜の支援などを行っている「ふくしまいせしまの会」(代表・上野正美)が主催した。
ワイシャツ姿が鈴木市長 |
昨年も懇談会を実施したという伊勢の鈴木健一市長はどんな人か調べてみると、まだ1期目で30代の若い市長。「脱原発をめざす首長会議」のメンバーで、避難者支援にも積極的な政治家だった。
会場は伊勢神宮の外宮前にある市民活動サポートセンター。懇談会には4家族8人の避難者と「うけいれ全国」側は私、北九州“絆”プロジェクトの谷瀬さん、「福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト」の伊藤ご夫妻が参加した。
残念ながらT君は部活があるので来れず、お母さんから携帯画像でT君の少しスリムになった最近の様子を見せてもらった。
4家族8人の避難者が出席
懇談会では、避難者1人1人が日頃思っていることなどを話された。
千葉県東葛地区から避難した方は「ベランダで線量が1.5μs/hあった。主人の理解が得られず母子で避難してきた。1年経つが、子どもが病気のときなど一人で子どもの面倒をみるのがつらい時もある。食べ物や空気など不安はないが、住民票を移していないので、託児を断られた」。
実家に避難、両親からは「帰れ」と言われ・・・
同じ千葉の柏市から避難された方は「妊娠中だったので昨年8月に夫の実家のある伊勢に避難してきた。実家の両親からは早く帰れと言われるが、柏では公園や学校の除染がやっと始まったばかり。二重生活でお金の方が大変」。同席した夫からは「自分も避難できればと思うが転職するのは賭けのようでできない」。
先のことを考えると眠れない
郡山市から避難された方はお子さんが3人。「原発の爆発の時、私が働いていたので、水汲みで外に子どもたちを3時間も並ばせてしまった。部活で外を走ったりして、湿疹や鼻血、喘息がひどくなった。髪の毛が抜けたり、夏休みに高熱を出したり、急性中耳炎にかかったり。伊勢に避難して本当に良くしてもらった。上の方の息子は部活のバスケができる学校に行かせてもらい、私の働き口も見つけてもらった」。
「甲状腺検査の結果、嚢胞(のうほう)が見つかった。私も石灰化したものが2個。東神戸の診療所に母子4人で放射能検査を受けに行ったが、交通費等が4万円。結果を聞きに行くのに2万円。年2回で12万円にもなり、負担が大きい」。
「私はうつで仕事を休んでいたが、明日から病欠期間が切れ無給になる。生活保護以外に避難し困っている人への対応ができないか。働いていた娘も原発関係の報道に過敏に反応し、過呼吸になったりして、いまは働けなくなっている。3.11以降、テレビも見たくない。これは経験した人でないと分からない。知らない土地にポツンと来て、孤独感や淋しさに襲われることがある。住宅の提供も来年で終わり、先のことを考えると眠れない。明日から仕事も無理をしてでも出ないといけないと思っている」。
安心できる時間がない
一昨年10月に避難した方は、夫が危機感を持ち伊勢で仕事を見つけ、夫主導で避難移住してきた。「福島の知り合いから、避難したのだからもういいのではないかと言われるが、安心できる時間がない。子どもも慣れたとはいえ、まだ向こうの夢をみるなど揺れている。甲状腺検査を避難先でやっていただければありがたい。福島県から5分で終わるからと案内が来たが、福島まで行けない。神戸の病院を知って、検査を受けてきた」。
素早く市長から避難者へ回答
避難者の終わらない苦しみを切々と訴える1時間だった。鈴木市長はしっかりとメモをとりながら耳を傾けていた。
数日後、上野さんから「今日、懇談会での避難者からの質問事項に、市長から私の携帯へ返事をいただきました。対応が早くよかったなあとありがたく思います。これからも市長と連絡を取って避難者の住みやすい伊勢にしていけたらうれしいと思います」とのメールをいただいた。
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