2014年6月30日月曜日

プラス学習支援〜今回から野菜便に新事業

北海道野菜トラック便に
今回から札幌東区の塾スコーレ・ユウの講師が
参加することになった。

せっかくなので、
現地での学習支援をよびかけたところ、
3a!郡山が手をあげてくれた。

野菜の配達がすべて終わったところで、
郡山の3a!の事務所に戻る。

予定時間に遅れ、
時計はすでに午後7時を回っていたが、
小学生から中学生まで
6人の子どもたちが自習しながら
待っていてくれた。

講師の朝日先生が
ひとりひとりの希望を聞きながら
学習指導。

今回は試験的な試みだったが、
来月もぜひということなので、
野菜便とセットで定例化することになりそう。

トラック運転に続いて学習支援、フル回転の朝日さん。
(3a!郡山の事務所)
真剣に勉強する子どもたち

お母さんからのメール〜トマト編


今月の野菜トラック便に
仁木町岩本農園の
甘〜くて美味しい緑健トマトが
間に合った。

川俣町のお母さんから
いただいたメール。

*****

子どもたちトマト早速、
丸かじりして、食べてます。

美味しいから、
もうひとつ食べたいって言って、
全部食べちゃいました。

安心して野菜食べられるって
ほんと幸せですね。

糖度7~8度の緑健トマト

1kgの袋入りトマト、全部食べちゃったの!

2014年6月29日日曜日

お母さんからのメール


二本松・白河の相談会に来られたお母さんから
いただいたメール。

「ありがとう」の言葉から
すべてが伝わってくる。

相談会の意義を改めて認識する。

******
先日は保養説明会でお世話になり、
また、上士幌の保養情報をご連絡くださいまして
どうも有り難うございました。

これから、旦那とお財布と相談したいと思います!!

福島では神経質な母親だと言われてしまうので
なかなか心配の声を口にだせない雰囲気の中で、
県外の皆さんが福島の子どもたちのことを考えてくださる、
命を守ってくださる…。
感謝の気持ちでいっぱいです。

福島の子どもたちのために
一生懸命やってくださっているのに、
有り難うございますの言葉くらいしか伝えられないのですが…。

本当に有り難うございます。

子どもが大きくなって話しがわかるようになったら、
あなたのためにこんなにもの人たちが助けてくれたんだよ。
考えてくれていたんだよ。
と、教えて伝えていきたいと思っています。

2014年6月28日土曜日

《福島〜北海道》野菜トラック便再開!


今年初の野菜トラック便再開!
24日出発し、26日帰還。

走行距離1,400km。
まっすぐ走るとなんと
青森から岡山まで走行した計算になる。

八戸港~相馬~福島市 ~郡山~那須塩原〜
 5:05 -----10:20---12:00------14:00----16:00-------

~川俣~二本松~郡山〜八戸IC
---18:00---18:30-----19:30---3:00

どうしても荷下ろしなどに時間がかかって、
いつも時間が押してしまうのだが、
今回はさらに遅れて、
那須塩原には90分遅れになってしまった。

今回のメンバーは5人。
私の他、
自然食レストラン<ホロ>を経営されている工藤夫妻、
札幌の学習塾スコーレユウの朝日さん、
(受験勉強付き保養プログラムを2年間実施した)  
そして、芽室在住の写真家であり、写真絵本作家の
小寺卓矢さんが撮影者として同行してくれた。

http://photokodera.com/
https://www.facebook.com/photokodera



2014年6月20日金曜日

ボランティア募集〜おもいっきり夏休みin北海道

今年も夏休みに
福島の子どもたち20人が
山の家にやってくる。

7月22日に到着した子どもたちは
海水浴や余市川カヌーなどを楽しみながら
8月17日まで北海道での夏休みを
満喫する。

期間中のボランティア・スタッフを
ただいま募集中。
(申込み・お問合せ090-1300-8314)
第1回実行委員会

2014年6月18日水曜日

今日のランチは京風懐石

余市でこんなランチお膳に
お目にかかれるとは!

京都の老舗の料亭で7年間修業した3代目が
そこで知り合った京女と結婚。

3代目とその女将さんの2人で
切り盛りしている旅館が
JR 余市駅前にある和風の徳島屋旅館。


上品な薄味の京風懐石弁当や
ランチお膳が1000円で食べれる。

おいしいデザート付き。




霧に包まれて・・・

昨日も今日も霧に包まれた山の家。
雨か霧、
ズーッとこんな天気が続いている。

余市の町に下りると
道路が乾いていたり。

北海道には梅雨はないはずが・・・。


郡山の除染について


郡山に住んでいる方から
いただいたメール。

***********
開成山周辺では、
道路除染で出た汚泥は、
開成山陸上競技場の駐車場に
埋められていました。
(今年2月~4月)

そこは一杯になったため、
現在は、郡山市役所の駐車場に穴を掘り、
埋め立て中です。

除染は進めてほしいが、保管する場所がない・・・
この街には、解決のつかない矛盾が、
日常風景として、目の前にひろがっていて、
胸が苦しくなります。

2014年6月17日火曜日

まだまだホットスポットのある郡山中心部

郡山駅から、放射能測定器を持って、
桑野商店街にある3a!郡山の事務所まで歩いた。

前回0.6μs/hあった黎明女子高校バス停は
今回はだいぶ下がっていたが、
まだまだ高い所がいっぱいあった


市役所前と開成山公園の前の通りが
0.4とか0.5という数字が出てくる。

ここの通りでB級グルメ大会が近くあるそうだ。

3a!郡山の事務所に着いたら、
持って歩くだけで地図上に線量が記録される
ホットスポットファインダーで計測した地図を
見せてくれた。

同じような結果が出ているが、
なぜか大通りより中通りは低い。

3a!では、この結果をもって、
市役所に除染の要請をするそうだ。


15日は白河市で相談会


避難保養相談会・二本松会場(14日)の来場者は
大人134名 子ども104名 で
合計238名(119世帯)だったそうだ。
すごい人数!

15日の白河市での相談会は
山の家に来られた大崎さん一家が
地元で準備に奔走してくれた。

「おもいっきり夏休み」に参加してきた真生くんが、
当日もお弁当代の集金などに大活躍。
妹の真菜ちゃんもお手伝いしてくれた。

山の家ブースはほとんど相談会初めての人ばかり。
教育委員会などの後援で学校通じて周知したことが
大きかったようだ。

来られたお母さんからは、
日々の生活の不安ばかりでなく、
将来、娘が結婚差別を受けないか、
孫が生まれたら普通は喜ぶのに
健康への不安が先立って
手放しで喜べないのではないだろうか、
といった将来への心配も口にされていた。

一方、夫と一緒に保養に行き、
受入れ側の人たちと話したことで、
妻の毎日の不安の気持ちを夫も理解できて
それからは文句も言わなくなったという話しも。

先の見えない不安な日々が続いている。

会場になった新白河駅前のコミュニティセンター

札幌や苫小牧など北海道の受入団体のブース




2014年6月15日日曜日

放射能の不安からいつになったら解放されるのか〜二本松市で保養避難相談会

夏休みを前にして
昨日14日は<うけいれ全国協議会>が
主催しての「避難保養相談会」が
福島県二本松市で開かれた。

全国から30を超える受け入れ団体が集まった。

開場前から入口に
たくさんの人が並び、
4年目に入ったいまも、
放射能の不安の中で生活している人が
多いことを物語っている。

この二本松会場では、
父親の姿が多かったのは
いままでとはちょっと違う現象。
4年目にして、
危機感が共有されてきているのか?

山の家きょうどうのブースには
9組のご家族が来られた。

保養の相談の他、
移住を決めて仕事を探しているという相談もあった。

また、こうした相談会に来たのは初めて
という人が多かった。

今回、教育委員会の後援を得て
学校などにチラシを配布したことで
いままで情報が伝わらなかった人たちを
掘り起こすことができたようだ。

3年間避難して
今年の3月に戻ってきたという方も
2家族いた。

そのなかの1家族は
夫から離婚すると言われて
泣く泣く帰ってきたが、
外遊びや給食の問題など
子どもの生活が窮屈になったと言う。

さて、今日はこれから、
白河市での相談会。

会場の二本松市民交流センターは入口に列ができた
100組以上のご家族が訪れた
放射能の不安の日々からいつになったら解放されるのか!

2014年6月10日火曜日

小樽モスバーガーの野菜の産地


郡山の方からの報告(今日の「子ども福島」のMLからの転載)
****
















先週は出張という名の保養で北海道に行ってまして、
小樽築港駅前のウイングベイ小樽で
事故後初めてモスバーガーを食べました。

モスバーガーは事故後から
堂々と地産地消を宣言してましたので、
東日本では今まで自重していました。

今回は北海道ということもあって
無防備に注文をしていましたが、
良く見たらカウンターに
食材の産地が記入されていました(写真)。

トマト:熊本県八代市
タマネギ:北海道美幌町
レタス:茨城県八千代町

「しまった」と思いましたが、
子どもが食べるわけではないからと
自分に言い聞かせ、
テンション下げながらテーブルに付きました。

それで食べながら具材をチェックしていると、
モスバーガーにレタスは入っていませんでした。

帰ってきて調べたら、
モスバーガーの具材とその産地は以下の通りでした。
http://menu.mos.co.jp/pdf/native.pdf

牛肉:オーストラリア、ニュージーランド
トマト、オニオン:国産
チーズ:ニュージーランド、オーストラリア、オランダ
ミートソースのオニオン:国産、ニュージーランド、アメリカ
  〃  のトマト:ギリシャ、イタリア、中国
  〃  の牛肉:オーストラリア、ニュージーランド
  〃  の豚肉:チリ、カナダ、アメリカ

茨城県八千代町を航空機モニタリングで調べると、
平成23年10月の時点で1万Bq/m2以上が点在しています。
これは栃木県で言うところの高根沢町(宝積寺駅周辺)と同等の汚染地域です。
平成26年4月には高根沢町のコシアブラで240Bq/kg、
隣町の市貝町のコシアブラでも210Bq/kgが検出されています。
http://www.kyoto.coop/news_01/img/20140424-20140430.pdf

同じような汚染地域を長野県で探すと、
http://touten2010.exblog.jp/19881242
長野市で340Bq/kg、
軽井沢町で300Bq/kg、
中野市、野沢温泉村などの山菜が100Bq/kg超、
飯綱町、高山村、木島平村で50Bq/kg超です。

妙高高原はこの近くですし、
保養のプランも多くあると思いますので、
汚染状況が気になります。

他県のコシアブラ測定値は、
新潟県津南町で170Bq/kg、
十日町市で69Bq/kg、
関川村で62Bq/kg、

山形県最上町で200Bq/kg、
尾花沢市で85Bq/kg、
天童市で74Bq/kg、
米沢市で71Bq/kg、
白鷹町で70Bq/kg、
飯豊町で69Bq/kg、
東根市で55Bq/kg、

言わずと知れた高汚染地である宮城県栗原市では1200Bq/kgでした。
栗原市の汚染は5万Bq/m2程度です。

福島県只見町でも85Bq/kg検出されています。
柳津町や只見町は1万Bq/m2を超えた汚染地域ですから当然だと思います。

郡山市や福島市の汚染は20万から30万Bq/m2程度ですので、
これらの地域とは桁が違います。

航空機モニタリングでは「1万Bq/m2以下」は一律の色で表示され、
何千Bq/m2なのか分かりませんが、
コシアブラの汚染を調べることで、
1万Bq/m2以下の地域の汚染度を把握できそうです。
保養場所で地物のコシアブラを購入し、
CRMSなどで測定すると、
保養場所の汚染具合が把握できると思います。

特に汚染されている地域の木材を燃やしてキャンプファイヤーなどすると、
それを吸い込んで内部被ばくしますので、
汚染状況を広く把握しておくことは必要だと思います。

2014年6月8日日曜日

女優さんが逗留


東京で活躍する女優さん「舞香」(まいか)さんが
旭川の帰りに山の家に逗留。

旭川では6日に
知里幸恵さんの生誕祭「銀の滴 降る日」が行われ、
舞香さん演ずる一人芝居「神々の謡」の
幸恵さんの生涯が演じられた。

会場になったのは、旭川市立北門中学校。
ここは、幸恵さんの家があった場所で、
19年という短い生涯の中で、
もっとも長い時間を過ごした場所。

山の家が急遽、小劇場になり、
舞香さんが「神々の謡」のさわりを
披露してくれた。

舞香さんはこの他、
原発事故で汚染地に
取り残されたペットたちをテーマにした作品や
宮沢賢治の童話や生涯を演じた作品がある。




2014年6月6日金曜日

2014夏ほよ〜ん相談会

夏休みに向けての「避難保養の相談会」が
来週末の14、15日に
二本松市と白河市であります。

今回は全国から30を超える団体が集まります。
山の家も参加します。
再会を楽しみにしています。



2014年6月3日火曜日

余市の果樹栽培の歴史


<牧野時夫さんのFBより>

■ 余市町の果樹栽培の特徴
 北海道の果樹生産額は、全国の1%未満(全国33位。農業総生産額は、全国の約12%で断トツ1位)。全道の農業生産額に占める果樹生産額の割合は0.6%ほどに過ぎないが、その6割ほどを後志地方の余市町と隣の仁木町の両自治体で占めている。余市町の耕地面積のうち8割ほどが樹園地であり、一般に果樹栽培が盛んではない北海道において、非常に特異な農業地域と言える。北に暖流の日本海流の流れる石狩湾があり気候は穏やか、西には冬の季節風を遮る積丹山塊があり、厳冬期には果樹を凍害から守るのに十分な積雪がある。東には小樽、札幌という大消費地を間近に控え、観光果樹園としての立地も申し分ない非常に恵まれた土地である。
 主要な果樹は、リンゴ、ブドウ、オウトウ(サクランボ)で、これらは全国でも上位に入るが、ナシ(西洋ナシ、日本ナシ)、スモモ(プラム、プルーン)、モモ、ウメ、クリ、クルミ、小果樹類(ブルーベリー、ハスカップ、カーラント、グースベリー、ラズベリー、アロニア、シーベリー)等も栽培され、経済栽培ではないがキウイフルーツやカキも実る。醸造用ブドウに限れば、北海道が長野県を押えて全国一の生産量を誇り(生食用は山梨県)、その中で最大の生産地が余市町である(面積では浦臼町であるが、生産量は余市町がはるかに多い)。他自治体(道外も含め)ではワイナリー直営農場などが規模を誇る中、余市町では1戸で5ha~10haを超える面積で栽培する醸造用ブドウ専業農家も少なくない。

■ 余市町(および北海道)における果樹栽培の歴史
明治2(1869)七飯町でプロシア人ガルトネルがリンゴ・ブドウ・西洋ナシなどの果樹を植栽。
翌年より、北海道開拓使函館出張所が、栽培を引き継ぐ。
明治4(1871)山田村(現余市町山田町)と黒川村(現余市町黒川町)に旧会津藩士が入植。
明治5(1872)北海道開拓使(東京)ケプロンがアメリカ他から果樹苗木4900本導入。
 リンゴ75種、西洋ナシ53種、オウトウ25種、スモモ14種、アンズ4種、ネクタリン5種、ブドウ30種、カーランツ10種、グースベリー8種、ラズベリー14種
明治6(1873)開拓使導入の苗木、七飯と札幌に移植
明治8~9 開拓使導入の果樹苗、道内各地の農家に無償配布
 余市には明治8年800本、翌9年500本が配布される。
明治10(1877)余市でブドウ初結実。
明治12(1879)余市でリンゴ初結実。緋之衣(19号、Kingof Tompkins County)及び国交(49号、Ralls Janet)。余市では最近まで導入番号が通称になってい たが、これは北海道独自の番号。七飯と共に日本で最初のリンゴ(苹果、西洋林檎)栽培の成功。
 その後、祝(14号、American SummerPearmain)、紅玉(6号、Jonathan)等も普及。
明治13(1880)「農業博覧会」(札幌)に余市リンゴが出品され好評を博す。これを契機に栽培増加。
明治14(1881)黒川村から仁木にかけての700町歩に毛利農場開設。支配人・粟屋貞一。
 稲作(北海道では恵庭市島松に次ぐ栽培開始)、畑作、農耕馬の放牧・採草地などに加え、果樹も栽培。その後、毛利農場では小作争議が発生、礼文島に漁  場を経営していた小樽の中山喜六が農場を譲り受け、中山農場と改称。130戸あった小作人の権利を擁護し、道内随一の模範農場とされる。
明治20(1887)余市で飯田ナシと相内ナシが発見される。飯田ナシは、中国梨の鴨梨(ヤーリー)の実生と考えられたため、ヤーリーと呼ばれていたが、豊産性のため、その後は身不知(みしらず)、千両梨と呼ばれるようになった。
明治26(1893)東京市場に初の国産リンゴとして、余市産の3号、6号(紅玉)、8号、19号(緋之衣)、48号、49号(国交)が出荷される。
明治37(1904)~ 余市の高山果樹園から皇室にリンゴが献上される。
明治39~大正4(1915) 日露戦争後、ウラジオストックへの貿易が盛んになり、日持ちする余市リンゴの品質が認められ盛んに輸出されたが、1915年のロシア革命で日本からの輸入が禁止され終焉。
 明治40年頃には200戸のリンゴ農家、栽培面積600町歩に達する。
大正元(1912)北大果樹園(当時、東北帝国大学農学部)が山田町に開設。当初、隣接する高山果樹園が管理栽培。
大正2(1913)中山農場(旧毛利農場)の経営者が変わり駒谷農場となる。
大正9(1920)大浜中地区でブドウ栽培が本格化する。
昭和3(1928)~43(1968)北大果樹園のリンゴ、戦争末期を除き毎年、皇室に献上される。
 旭(McIntosh)は、札幌農学校が導入した品種。
昭和4(1929)~ ニシン漁で栄えた余市であったが度々ニシンが不漁となり、昭和30年以降は全く獲れなくなる。ニシン網元では多角経営に乗り出し、農場を経 営するところも出てくる。
昭和9(1934)大日本果汁株式会社北海道原酒工場(現ニッカウヰスキー余市蒸留所)が竹鶴政孝により設立され、販売まで年数のかかるウイスキー製造を、リ ンゴ果汁販売で軌道に乗せる。
昭和13(1938)ニッカウヰスキー、アップルワインを発売。
昭和19(1944)駒谷農場、終戦後のGHQによる農地解放に先駆け、小作人に農地を解放する。その際、共有地として18haを共栄組合に譲渡。
昭和26(1951)~41(1966) 北大果樹園で、一般農家向けに農閑期の講習会が、本校教授陣により開催される。
昭和28 余市町のりんご664ha、ぶどう33ha、なし42ha、おうとう10ha
昭和29(1954)昭和天皇・皇后、戦後初の北海道行幸で北大果樹園を訪問。
昭和30(1955)豊丘町の農家がアメリカ合衆国から日本で最初のスピードスプレーヤ(農薬散布車)を導入。その後、町内の川南鉄工でスピードスプレーヤ製造(昭和33~平成10年頃まで)
昭和32 余市町のりんご1025ha、ぶどう130ha、なし42ha、おうとう15ha
昭和40     りんご1040ha、ぶどう260ha、なし40ha、おうとう30ha
昭和48(1973)余市町にリンゴの矮性台木M7とM9が導入される。
同   (1973)道立中央農業試験場が仁木町でドイツ・オーストリア系の醸造用ブドウ19品種の試験栽培開始。
昭和49(1974)日本清酒株式会社が清酒工場の設備を転換して「余市ワイン」設立。
昭和40代 減反政策で、水田の転作作物として黒川町を中心にぶどうへの転換が進む。
 大正時代からのキャンベル、ナイアガラ、デラウエアに加え、バッファロー、ポートランド、 旅路(紅塩谷)が普及する。
昭和50(1975)余市町でぶどうのハウス栽培が始まる(2戸)
昭和50代 台風被害や腐乱病の蔓延、価格の低迷でりんごの伐採が進む。
昭和55(1980)余市町にリンゴの矮台M26が導入され、矮化栽培が本格化する
昭和56(1981)北後志園芸試験場が、余市町と仁木町共同で設立。平成7年に各町立に分離。
同   北海道が醸造用ブドウの優良品種としてツヴァイゲルト・レーベ、セイベル13053(以上赤)、ミュラートゥルガウ、セイベル5279(以上白)の4品種推奨。
昭和57(1982)余市町ハウスブドウ生産組合が発足。国の助成制度も認められ、数十戸が一斉に取り組む。
昭和58(1983)サッポロワイン(株)が町内の生産者(加藤邦昭氏)と醸造用ブドウの栽培契約を締結(品種:ケルナー)
同   余市町でおうとう(サクランボ)の雨よけハウス栽培が始まる。
   余市町のりんご 644ha、ぶどう479ha、なし152ha、おうとう58ha
昭和59(1984)北海道ワイン、余市ワイン、はこだてワイン、ニッカウヰスキーが町内の生産者と醸造用ブドウの栽培契約を締結。醸造用ブドウ栽培が本格化。  JAよいちが間に入り、基準糖度を基にした価格体系もできる。その後グレイスワイン(中央葡萄酒千歳ワイナリー)が平成8年、十勝ワイン(池田町ブドウ・ブドウ 酒研究所)が平成14年に町内の生産者と契約締結。
昭和61(1986) JAよいちでジュース工場建設「りんごのほっぺ」製造開始。
同   北海道立中央農業試験場(長沼町)育成のリンゴ「ハックナイン」配布
    期待の品種として導入が進むが、秀品率の低さ等から採算性悪く栽培広がらず。
平成2(1990)りんご 460ha、 ぶどう482ha、 なし111ha、 おうとう87 
  りんごのうち、50%超をスターキング・デリシャスが占める。
  りんご栽培から、醸造用ぶどうへの転換が進む
平成16(2004) りんご283ha、ぶどう465ha、なし81ha、おうとう133ha
スターキングはほとんど栽培されなくなる。つがる、ふじ、レッドゴールド、きたかみ。
 ぶどうのうち約100haは、醸造用品種(ケルナー、ツヴァイゲルト・レーベ、ミュラートゥルガウが主要3品種、最近はバッカス、ピノ・ノワール等が増加)
平成21(2009) 北大果樹園を擁する北海道大学北方圏フィールドセンターと余市町が提携(自治体では北大と協定を締結するのは2例目)、道内農学系3大学に よる地域拠点型農学エクステンションセンターにも選ばれる(道内8ヶ所)。
平成22(2010)ココワイン(栃木県)の栽培責任者だった曽我貴彦によりドメーヌ・タカヒコ設立。ピノ・ノワール3000本植栽、近隣農家のブドウにより醸造開始。
平成23(2011)余市町が北海道で初の「北のフルーツ王国よいちワイン特区」に認定され、果実酒醸造免許の最低製造量が6KLから2KLに軽減される。
平成25(2013)新潟でカーブ・ドッチを経営していた落希一郎・雅美両氏によりOcciGabi(オチガビ)ワイナリー設立。ブドウ園、庭園、レストラン、売店(コンサート  ホール)を併設。契約農家の原料で醸造開始。
同    余市リタファーム(菅原誠人)が、ワイン特区により醸造開始。
平成26(2014)登醸造(小西史明)が、ワイン特区により醸造開始予定。

山の家'sイベント〜エトセトラ



反原発シンガーソングライターも飛び入り出演

青い空の下で子どもたちが遊び回る

みんなで餅つき

鶏の解体ワークショップのあとは、
みんなで餅つき。

子どもたちも参加し、
ヨイショ、ヨイショ。

山の家で穫れたよもぎを使った
よもぎ餅もついた。



つきあがったお餅はあんこ、きなこ、納豆、
大根おろし、醤油砂糖などでトッピング。 
山の家で穫れた山菜たっぷりのお雑煮でお腹もいっぱい

鶏の解体ワークショップ〜命のことを学ぶ

第1回山の家'sイベントの圧巻は
何と言っても「鶏の解体」ワークショップ(鶏しめ)。

日々の食卓に出てくる鶏肉。
でも、どうやって鶏の「命」を
いただいているのか、私たちは知らない。

「命」をいただくというのは、
どういうことか、
体験してもらうワークショップ。


余市のスルジェ農園の卵を産まなくなった鶏(平飼い)。
羽交い締めて逆さにし、首の頸動脈に
ナイフを入れる。

その瞬間、鶏の命が伝わってきて、
何とも言えず、
胸の奥からこみ上げてくるものがある。


約200ccと言われる体内の血が抜けきるまで3〜4分。
最後のとき、もの凄い力で羽をばたつかせたあと、
静かになる。
子どもたちは何を感じているのだろう。


生きている鶏をさわって
命の感触を確かめる。



死んでも体はまだ温かい。
消え行く命の温もりを手で感じながら、
みんなで羽をむしり取る。

命あるものをいただいて
私たちは生きている。
命をいただく現場に立ち会って、
自然と感謝の気持ちが湧いてくる。

年配の参加者に聞くと
子どもの頃に鶏しめを経験している人が
意外と多かった。

昔は、命をいただくことと食べることが
近かったんだ。

2014年6月2日月曜日

第1回目の山の家'sイベント、大盛況!

快晴の下、
第1回目の山の家'sイベントが
開かれた。

札幌や小樽、余市などから
原発事故の避難者さんや支援者、
地元農家の方々など
80人を超える親子連れが参加。

ミニ・マルシェも登場し、
岩本農園(赤井川村)のアスパラや黒にんにく、
生ビールや余市産のりんごジュース、
仁木町産のトマトジュース、
手づくりアクセサリーなどの
コーナーがつくられた。



余市の海で大釣果

法人(札幌協働福祉会)の釣り同好会が
山の家にやってきた。

翌朝5時半に余市港を出航し、
船の上から釣り竿を垂らした。

アブラコ、カレイ、
ソイ、ホッケ・・
100匹を超える大釣果だった。

魚をさばく山藤さん、寿司屋の友人に
教えてもらったそうだ。
さばいたカレイはネットに入れて一夜干し。
焼いて食べたら、おいしかった!

2014年6月1日日曜日

熟睡する子どもたち

山の家'sイベントPart 1の前夜祭。
札幌や小樽も今日は運動会だった。

運動会で疲れて、やってきた子どもたちは
ラウンジで雑魚寝。

昨夜の花火大会は残念ながら
強風のため中止。