当時、現地に派遣された若い医師たちが作った
ヨウ素剤配布計画案を潰した山下長崎大学教授。
以下は歴史に残る大罪だ。
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山下を驚かせたのは、11年3月23日に国が公開したSPEEDI(放射能拡散予測システム)の計算図だった。当時のヨウ素剤服用基準は、甲状腺の被曝(ひばく)線量が100ミリシーベルトになると予測されたとき。計算図では100ミリを超える地域が原発30キロ圏外にも大きく広がっていた。
「ありゃー、と思いました」
放射能汚染は山下の予想を大きく上回っていた。
「日本の原発にはヨウ素とかを取り除くフィルターとかがきちんと付いているものだと思っていた。まさかこんなに広範囲に汚染されているとは思わなかった」
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