2014年5月6日火曜日

おやつ〜石牟礼道子自伝『葭の渚』から

石牟礼道子の自伝
『葭(よし)の渚』(2014.1藤原書店)を
読んでいたら、
おもしろい一節に出くわした。
(以下、同書120Pより)

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水俣の小学校1、2年生の時の
同級生に谷川徳子がいた。

父上は眼科病院の院長先生で
大きな屋敷に住み、広い裏庭には
ビワの木が4、5本あった。

この谷川家こそ、谷川4兄弟を生んだ名家だと後で知った。

4兄弟とは、
民俗学者の谷川健一、
詩人の谷川雁、
東洋史学者の谷川道雄、
日本エディタースクールの創立者になった谷川(後に吉田)公彦。

石牟礼道子は徳子の家によく遊びにいき、
ビワの木によじ登っては
実をもいで、徳子に拾わせた。

「何と躾のなっていない児(こ)だと思われたにちがいない。
 その頃の私は木というものは登るためにあると思っていて・・・」
と書いている。

そのうち、(徳子の)お母さまから
「おやつですよ」という声がかかった。

「見たこともないカステラのようなものが」
「うちには、『おやつ』という言葉はなかった」

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この一節を読んで、
私の子どもの頃のことを思い出した。

私の生まれ育った鎌倉の実家の前に
大きな屋敷がどでんとあった。

この屋敷こそ、「鉄は国家なり」の
新日鉄・稲山社長の別荘だった。
夏になると、
まだ子どもの御曹司が遊びに来る。

ある日、別荘の女中さんが
「お坊ちゃまと遊んであげて」と
呼びに来た。

3時のおやつの時間になると
いままで食べたこともないケーキが出てきた。

お坊ちゃまとの遊びは
まったくおもしろくなかったが、
おやつだけが楽しみだった。

そのお坊ちゃまが
女中さんを足で蹴っている場面に
遭遇したことがあった。

子ども心に腹立たしいと思ったが、
私は黙ってケーキを食べていた。

谷川雁とこの稲山家が
かつて資本対労働でぶつかりあった時代が
あったこともおもしろい。


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