原武史の『大正天皇』に続いて
『可視化された帝国〜近代日本の行幸啓』を
読んでいる。
近代国家が成立したのは明治維新。
ある政治学者は
知ることも会うこともできない人々を
同じ「国民」として想像できた時、
「国民国家」は成立すると言った。
国民とは、想像の政治共同体であると。
この本は、
天皇の行幸啓を通じて
天皇制超国家主義がどう形成されたかを
論じている。
江戸時代の庶民は、もちろん
天皇の存在さえ知らない。
戦国の最終的勝利者が江戸幕府を樹立したのだ。
中国や朝鮮半島のように
儒教という支配イデオロギーもなかったので、
大名の参勤交代(行列への土下座の強制)
という視覚的統治技術で
権力を浸透させた。
明治新政府は「王政復古」を掲げ
「復古神道」を
支配イデオロギーにしようとしたが、
失敗。
それに代わって、
天皇の巡幸行幸で
「臣民」に天皇の存在を認識させ、
忠誠心を培養した。
巡幸行幸こそ参勤交代と同じ
視覚的統治技術。
生身の天皇を見せることで
「一君万民」の政治空間を演出した。
教育勅語や各学校に「ご真影」が飾られ
敬礼が強制されるなどして
天皇制イデオロギーは強化され、
戦争へと突っ走って行く。
敗戦後、象徴天皇制という形で
天皇制は残った。
1945年12月の世論調査で
天皇制支持は90%を超えた。
今でも世論調査すれば
同じような数字が出るのだろう。
天皇が亡くなったといえば、
記帳する若者の姿を多く見る。
靖国神社にも若者の姿が少なくない。
自分を超える存在、権威、永遠を
人間は求めているのだろうか。
そんななか、上野千鶴子の
「人の一生を『籠の鳥』にするような、
人権を無視した非人間的な制度の犠牲には、
誰にもなってもらいたくない」
という天皇制廃止論は
わかりやすい。
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