今年のノーベル文学賞に決まったベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシェービッチさんは、国家の圧力に抗し、戦争や巨大原発事故などに翻弄された人々の声を集め、書き続けてきた。
彼女とは12年前に札幌でお会いした。
インタビューをした時の印象に残った言葉、
「私の本に出てくる小さき人々は、巨大な出来事に直面してそのなかでいかに生きるか、あるいは生きることの意味を自力で考えようとする人たちのことです。従来の価値観、世界観は袋小路に入っていると思います。今はその世界観を変えていくべき時と思うのですが、預言者的な人や偉人が現れて指導するのではなくて、無数の小さき人々がそれぞれの考えでそういう道に向かっていく時代だと思います」
今回の受賞に東電福島原発事故が関係しているのかは分からないが、
「小さき人々」へのスポットライトは今まさに時宜にかなったものに思える。
当時のインタビューを再録する。
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小さき人々の時代
チェルノブイリと9.11は未来からのサイン
「小さき人々」の記録を書き続けるベラルーシの作家 スベトラーナ・アレクシェ−ビチさん
【プロフィール】
1948年生まれ。国立ミンスク大学ジャーナリズム学部卒。地区新聞、全国紙の記者を経て作家に。1983年、『戦争は女の顔をしていない』により、ライプチヒ国際ドキュメンタリー映画祭で「銀の鳩賞」受賞。1996年、「スウェーデン・ペンクラブ賞」受賞。2000年、NHKドキュメンタリー番組「破滅の20世紀」「ロシア小さき人々の記録」の製作・出演のため来日。今年1月からフランス在住。著書に、『戦争は女の顔をしていない』(邦訳なし)、『死に魅せられた人々』(邦訳なし)、『ボタン穴から見た戦争』(三浦みどり訳、群像社刊)、『アフガン帰還兵の証言』(三浦みどり訳、日本経済新聞社刊)、『チェルノブイリの祈り〜未来の物語』(松本妙子訳、岩波書店刊)がある。
彼女の著書は、いずれも戦争や巨大な事故、あるいは政治体制に翻弄された人々の証言を集めた聞き書き文学である。権力を持たない「小さき人々」が見たこと、感じたことを通して、戦争や原発事故を表現していくという点では実に一貫している。9・11とチェルノブイリ原発事故以降の新しい「悪の時代」、その深い絶望のなかで彼女は、「小さき人々の時代が来る」という希望を私たちに灯してくれている。
—北海道の印象は。
●北海道は島で水に囲まれています。私も子ども時代は川のそばで暮らし、ミンスク(ベラルーシ共和国の首都)の今住んでいるアパートから川の景色が見えます。水のある風景に親しんで暮らすことは、情報の早い現代社会の中で人間らしさを保つことにつながります。
—スベトラーナさんは、女たちや子どもたちが体験した戦争の悲惨さを当事者からの聞き書きという手法で描いています。なぜ、戦争をこうした手法で描こうとしたのでしょうか。こうした手法で何を伝えたかったのでしょうか。
●『戦争は女の顔をしていない』は私の最初の著作ですが、第2次大戦に参戦した女性の目から見た戦争を描いています。『ボタン穴から見た戦争』は子どもの目から見た戦争です。男の目から見た戦争の本はたくさん出ていて、もう人々の心をとらえなくなっています。ですから、あえて子どもや女性の視点を選んで戦争を描こうと思ったのです。
男性は戦争の狂気に囚われた視点なのに対し、子どもや女性は戦争に正常な視点を持っています。女性や当時、子どもだった人の証言を聞くと当時の風景の色や匂いといった感覚的なものがまざまざと出てきます。つまり、これまでの陳腐でありふれた証言ではなく、正常心で戦争をとらえられると思ったからです。今日のパレスチナやイラクの戦争も子どもの視点で見ると違った戦争が見えてくると思います。
—人は自分のつらい体験を人に話したがらない。日本人の太平洋戦争の世代の多くは妻や子どもたちに戦争体験、人を殺したことや軍隊の中での卑劣な人間性の表面化など何も語らないまま、死んでいっています。語らないことで、自分のプライドを守ってきたのではないでしょうか。あなたはそういう人たちから、どうやって「その人の体験、そのとき考えたこと、感じたこと」を聞き出しているのでしょうか。
●『戦争は女の顔をしていない』では語りたくない女性のケースもありましたが、多くの人はすすんで話してくれました。というのは、戦争から40年も経っていたことと、独ソ戦は女性の参戦者が看護婦などを含め百万人くらいいるのですが、女性の参戦者は男性の影に隠れて誰も聞こうとしなかったことがあります。あたかも、勝利を男性が自分の手柄にしてしまったような。
『ボタン穴から見た戦争』の場合は、近親者をなくしている人の場合はトラウマが強いので、語る言葉が見つからないということで話せない人もいますけど、この二つの本を書いたのはソ連時代なのでその時代特有の困難、今だったらもっと率直に語ってくれたかもしれない。また、出版の時に検閲で削られた部分もあります。
—太平洋戦争は戦後日本にとって否定的な戦争だった。アフガン戦争はロシア人にとって否定的な側面があったのではと思いますが、その戦争体験をすすんで話したのでしょうか。
●アフガン戦争の場合は真相が国民に隠されていましたので、国内ではアフガン農民を助ける正義の戦いが宣伝されていたのです。一方、兵士や将校は国に帰ってもそこで見たことは口外しないという宣誓書を書かされていた。ですから、そういう人から証言を取ることは難しいことでした。
出版の後、裁判が行われました。実際に証言した人たちに共産党や軍の上層部から圧力がかかって、自分たちの証言は歪曲されているとして、裁判を起こし、2年くらい続いた。ソ連軍のイメージを傷つけたからです。
ひとつの例は、アフガン戦争で息子を失ったばかりの母親を訪ねたときですが、彼女は柩が送られてきてアパートに安置していたのですが、女手ひとつで育てたもんで柩をたたいて嘆き悲しんでいたのですが、彼女も裁判の原告に入っていました。わたしはその時、息子の死について真実が必要ではないのかと言ったら、彼女はいや私は自分の息子が人殺しであるということを言ってほしいのではない。息子は英雄であったと言ってほしい。と。
—チェルノブイリの事故直後にあなたは取材に入ったが、書きませんでした。それは「いま書けば事故の緊急レポートにすぎず、ことの本質が抜け落ちてしまう」からと仰った。「ことの本質」とは何ですか。
●恐ろしいことのコレクションを書くことは難しくないのですけれど、私が書きたいのはそうではなく、それぞれの出来事が人間に求める価値観を書きたい。私が本を書く時、1冊に5〜6年はかけますし、証言を取る人も最低200〜300人です。とくにこの『チェルノブイリの祈り』については、10年以上かけたし、証言を聞いた人も500人を下りません。
まず事故直後から、これまでの人類の経験になかった謎にぶつかりました。ヒロシマ・ナガサキの経験もそれに匹敵する新しい体験でしたが、それは戦争のなかで原子力の軍事利用と言う形で行われたのですが、チェルノブイリは原発事故、それまで平和利用は善とされてきたものが一瞬にしてまったく新しい姿で現れたという意味でこれまでになかった経験だと思います。
ソ連時代は核戦争が想定されていたので、原爆が落とされたら何らかの対応とることが頭にあったが、チェルノブイリ事故直後2、3日は一般の人々は何をしていいか分からなかった。
人間自体が生物として放射能汚染という事態に対応できない。目にも見えない、触っても分からない、耳にも聞こえない、汚染された地域の真只中に立って死に囲まれていてもそれを関知することができないわけです。
そのときに人々が言っていたのは、こんなことは誰も話してくれたことがないし、聞いたことがない。読んだことがない。それまで人類が蓄積してきた知識が一瞬にして過去のものになってしまったということです。
今も汚染地域は花も咲いてるし草も生えてるし、川は流れて空は青い。全く普通の情景ですが、同時に見えない危険がそこにあります。
私が何について書かねばならないかを掴むまでに数年かかりました。もちろん、事故後に情報操作が行われて人々が欺かれたという政治的な問題、放射能が健康被害を与えるという医学的な問題はあくまで本の一部にすぎなくて、問題は人類にとって何が起こったのかという新しい認識です。私の本は新しい認識を得るためのものでなければならないと思いました。ですから、この本には「未来への物語」という副題がついています。
—あなたはなぜ書くのですか。国家や権力者の責任を追及するためではないのですか。市民を戦争に送り出す国家、市民を翻弄し、踏み付ける権力をなくすためではないのですか。文学や芸術に何ができるとお考えですか。
●私はまず、今の時代に生きている人間として私自身が今の時代に関心がある。今の時代が提出しているいろいろな問題について理解したいという思いがあるのです。私の手法は多くの人の証言を載せて、いろんな人の問題へのアプローチを示すことで他の人にもこの問題への関心、理解をしたいという気持ちを呼び覚ますという思いで書いています。
芸術に何ができるかということについては、こういうエピソードがあります。私が本屋を見ているとあるおばさんが『20世紀の偉人』というほんのシリーズがあって、おばさんが見ているわけですけど、おばさんは「私が読みたいのはこういう本ではなくて、自分たちのことが書いてある本だ」と言ったのです。私の言う『小さき人々』はそういう人たちのことを書きながら、彼ら自身が自分のことを理解する助けになる、そういう本です。
つまり、20世紀や21世紀は「小さき人々」の時代だと思います。英雄の時代は過ぎ去って、小さき人々が自分の生命についての権利を主張すべき時代です。小さき人々による小さき人々についての本が必要ではないでしょうか。
日常のまわりを見渡しただけでも、小さき人々のための社会になりつつあるのではないでしょうか。
歴史の中で何が重要かというと、英雄を探すのではなく、小さき人々がいまどういう状態に置かれているか、何を考えているかが重視されてきています。
チェルノブイリの本のなかでも、普通の人なんですけど、住んでいるところが汚染されて、子どもが病気になって死んでしまう、故郷を捨てて他所に引っ越さなければならないという、普通の人間でありながら、特殊な運命に巻き込まれてしまう、どうしていいか分からない、そういう人のことを書きたいわけです。
—「そのとき、どんな人間が暮らし、何を考え、何を感じ、何を話していたか」を記録に残すことの大切さとは、何でしょうか。
●私が書いているのは、人間が恐ろしい出来事をいかに受け止めて乗り越えてきたかという心の記録です。古代ギリシャの人が書いたものを読んでも人間の心の記録は今に通じるものがあると思います。だから、いま私が書いてきたものは根本的な部分では千年経ってもその頃の人間に共通するものが残ると思うのです。小さき人々がどういうふうに苦しみを感じ生き延びてきたかという根本的なところでの記録として残したいということです。
私の書く時の信条は、人間の中に人間性がどれほどあるのか、どのようにしてそれを保つことができるのかを常に問いながら書いています。それは特殊な状況に追い込まれると人間はすぐ獣になってしまうわけです。つまり、人間性は壊れやすいもの、失われやすいものです。それをどう保つか、問いかけながら書いています。
—その問いかけに答えのようなものは見えてきたのでしょうか。
●時おり見えたかなと思うこともありますが、人間を愛することは難しいことですし、生きていくことも難しいことです。しかし、もしそういう問いに意味がないのであれば生きることの意味がなくなってしまうのではないでしょうか。
−小さき人々にこらからの時代を生きていく新しい価値観を見い出すことができるということでしょうか。
●私の本に出てくる小さき人々は、巨大な出来事に直面してそのなかでいかに生きるか、あるいは生きることの意味を自力で考えようとする人たちのことです。従来の価値観、世界観は現代の状況のなかで、ある意味で袋小路に入っていると思います。精神的なものを後回しにして物質的な利便や安楽を追求するのは、物質的なものを重んじる18世紀の啓蒙思想に端を発していると思うのですが、しかし今はその世界観を変えていくべき時と思うのですが、預言者的な人や偉人が現れて指導するのではなくて、無数の小さき人々がそれぞれの考えでそういう道に向かっていく時代だと思います。
—今回の来日で、日本人に何を訴えたいとお考えですか。
●日本は私にとって、非常に興味のある国で、以前中国やベトナムを訪問したことがあるのですが、また私の本は世界数十カ国で翻訳されているのですが、日本が私の興味を引くのは、やはり日本とチェルノブイリを体験したウクライナ、ベラルーシは核の独自の体験を持っている。この体験は未来からのサインとも言えます。たとえば、9・11の事件が示しているように今の世界にそういうリスクを抱えた世界であることは誰の目にも明らかです。しかし、日本で大きな地震が起こると言われているそうですけど、そういうリスクを世界が抱えている中でそれに目をつぶって子どもに言い聞かせるように大丈夫だよ何も起こらないよと言うのではなく、既に人類に与えられたに体験を、体験してない人々に伝えていくことは日本人にもそして我々にも重要ではないかと思います。
たとえば、9・11のテロ事件を起こしたといわれる10数人の人は、宣戦布告もなく巨大な大国に屈辱を与えるようなことをした。
私はこれからの戦争はそうい予測できない、これまでになかった形で起こると考えています。それは、従来考えられていた核戦争は起こらないで、たとえば原発にテロが行われるなどは大いに考えられることで。そう言ったことに考えを及ぼさなかればならない。
予測できないことが将来の世界に待っている。新しい悪が未来に人類を待っている。そういうものに対して我々は目を開いて、それに対する覚悟ができていなければならないと思います。
—現在の活動、執筆中の作品のこと。
●近々フランスとロシアで『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』の改訂増補版が出版されます。検閲で削られた部分を増補して出します。その他に、新しい本を書いています。随分前からソビエト的人間の本をシリーズ的に書いていて、すでに5冊出版して残りの2冊は愛と死についての本です。いま書いているのは愛についての本で、強制収容所での愛、過去の集団主義的体制から解き放たれて一人になったとき現れてくる、自分の人生の中心になる愛の姿などを本にしたいと考えています。
(2003年12月、札幌・センチュリーローヤルホテルにて)
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