2014年12月31日水曜日

今年一番のお薦めは、最後に読んだこの本


「チッソは私であった」(緒方正人著、葦書房、2001)





















今年61歳の緒方さんは、不知火海で
いまも漁を続ける。

「水俣病事件が突きつけているのは、
 認定や補償という現象的なことではなく、
 生きる意味」

「目の前でとれる魚(いお)、タコや貝、
 うしろの山では、ワラビやゼンマイがとれ、
 虫や鳥、そういう世界が壊された事件」

「そういう世界に生かされ、一人ひとりが
 命の存在としてさまざまな命とつながって
 生きている」

緒方さんは、自分が突き抜けた地平に
「無量の世界がここにある、
 冥加とはこのことだと感じましたね」
と語る。

裁判や認定申請という制度の中での運動、
相手はころころ変わる役人だったり、弁護人だったり。

たたかう相手のチッソが見えてこない、
人間に会いたかったと
1985年、患者としての認定申請を取り下げる。

「チッソとは何か、私がたたかっている相手は
 何なんだと考えた先に気づいたのが、
 巨大な『システム社会』。それは時代の
 価値観が構造的に組み込まれている、世の中」

「私たちも『もう一人のチッソ』。
 “近代化”や“豊かさ”を求めたこの社会は、
 私たち自身。
 この自らの呪縛を解き、そこからいかに
 脱していくかが大きな問いとしてある」

ここには、「チッソの責任を曖昧にする
一億総懺悔論」という批判を超える、
3.11を経験したいまも答えを持たず、
私たちが問い続けなければならない
課題が提示されている。





NHKスペシャル「38万人の甲状腺検査」

26日のNHKスペシャルで
甲状腺検査が取り上げられた。

福島県は、東電原発事故当時、
お腹のなかにいた子どもも含め
18才以下の全ての子どもを対象に
30年にわたり甲状腺検査を
していくことにしている。

その1巡目の検査が終わり、
今年4月から始まった2巡目の検査で
1巡目の検査のときはA1、A2判定だった
子ども4人から甲状腺がんが見つかった。

原発事故由来を否定してきた福島県と県立医大も
事故の影響を否定するのが難しくなってきた。

ところが、その2次検査の受診率が
30%台と低迷しており、
番組ではその背景を探ることで、
健康不安を押し殺して生活する
お母さんたちの実像に迫っている。

受診率低迷の原因としてあげているのが、
福島県立医大への不信感。

わずか3分の検査時間。
検査に親は立ち会えず、
結果通知もわずか2行。
B判定でもエコー画像をもらえない。

そして、県立医大の当時の山下学長は
「放射線被曝による健康影響は考えにくい」
と頭から否定する。

こうしたことから、
「医大は住民の信頼を失った」と
番組は分析する。

そして、甲状腺検査を受けない
もうひとつの理由は、
被曝の現実から逃れたいというお母さんたちの心理。

「もうなんか疲れちゃった。
 被ばくは知らなくて生活できるのであれば、
 知らなくても良い気もするし」

「放射能のことはあえて
 考えないようにしている。
 考えることに疲れてしまいました」

大事な甲状腺検査も受けない
選択をしてしまうお母さんたち。

そこには、わが子の健康不安を抱えながら
分断され孤立し、
不安を押し殺して生活する
お母さんたちの姿が
透けて見える。

甲状腺検査を受ける子どもたち
「ボク、がんになるの?」と医師に問いかける子ども
「考えることに疲れた」と語るお母さん

2014年12月30日火曜日

年の瀬の風景〜あいの里

12月26日、かつてないどか雪。
日中積もった雪が49cm。

朝出勤時に駐車した車が
お昼には雪に埋まり、
動けなくなる。

JR学園都市線をまたぐ陸橋で
トラックが立ち往生。
上下両車線とも通行止め。

学園都市線は終日、運行停止。
バスは動くが、ノロノロ運転。
麻布からバスに乗車した避難者さんは
ステップまで人が立つ混みようで
バスが走るのが不思議なくらい
猛吹雪だったという。

道路の両側に積み上げられた雪は家を隠してしまいそう。
翌27日は、
2回目の避難家族会。
昨日のどか雪の話題で盛り上がった。

ある避難者さんは
職場から猛吹雪の中、
歩いて帰ってきた。
「避難してきて、ここで死ぬのかと思った」
という。

この日の避難家族会は、
みちのく会札幌本部の本間紀伊子会長を
招いて開かれた。

みちのく会は3.11で北海道に
移り住んだ被災避難者の自助団体。
会員は全道1,700人にのぼる。

みちのくカフェやあんぱんナイトなど
会の活動を紹介していただいた。


また、この日は
「おもいっきり冬休み」の引率で
北海道に来ていた倫ちゃんのお母さん、
野口時子(3a!郡山代表)さんも参加し、
福島の現状をお話しいただいた。


家族会が終わった5時すぎには、もう真っ暗。
師走でこの後、忘年会が入っている人もおり、
今回は2次会はなし。 
この日、あいの里から麻生に引っ越す避難者さんもいた
東区伏古の塾スコーレユウでは、福島の
受験生が猛勉強をしていた。

<おもいっきり冬休み>が終わり、2014年が暮れる。

今日で、<おもいっきり冬休みin北海道>が終わり、
子どもたちは苫小牧西港からフェリーに乗って
家路に着いた。

おもいっきり冬休みのブログを見ると
http://ameblo.jp/project-fukushima/
毎日毎日、楽しいことがいっぱい。

それも、
スタッフやボランティアの献身的な活動、
地域の方々のご協力があってのこと。

山の家は、第2のふるさと。
また、帰っておいでよ。
お餅をついて、2014年を締めくくる
重い荷物を引っぱって、船内に消える子どもたち


2014年12月25日木曜日

仁木町役場で見つけた白蓮の直筆の短歌

白蓮の直筆の短歌が仁木町役場、
図書室の前に展示されていた。

白蓮といえば、NHKの連続テレビ小説
「花子とアン」に登場した歌人柳原白蓮。

皇族で、九州の炭鉱王と再婚したが、
東大生と駆け落ち。

太平洋戦争で長男を亡くし、
戦後は「悲母の会」を結成し、
平和運動に尽力する。

役場内の町史編さん資料室に
「白蓮」と書かれた封筒を
職員がたまたま発見したのだという。

中に短歌を記した和紙が
三つ折りの状態で入っていた。

戦後は平和運動家としても活動した白蓮。
1953年には道内各地を巡り講演している。

仁木町銀山地区を訪れた記録があることから、
その際に役場(当時は大江村)に立ち寄って
歌を詠んだそうだ。



27日は第2回避難家族会

今日は、神奈川県横浜市から
2家族が保養に来られた。

日中も気温が上がらず
零下7℃だった山の家。

それでも子どもたちは
雪の上を楽しそうに歩く。

27日は、札幌に避難移住した
第2回目の避難家族会。

午後3時から、ふれあいセンター2階。
みなさん、参加しましょう。
飛び入り参加、大歓迎。

ちなみに、山の家がかかわった家族で
避難移住した方は15家族(単身者含む)。

そのうち、今年移住された方は9家族で一番多い。
3年過ぎて、踏ん切りをつけたのだろうか。

放射能とのたたかいは長丁場。
まだまだ、山場はこれからだ。



碓井画伯のアートの時間

<おもいっきり冬休み>
今日は、碓井画伯のアートの時間。

布をキャンバスに思い思いのデザイン 
形のとらわれないからおもしろい
雪の上において凍るのを待つ
できました!雪上のオブジェ
子どもたちの創造力がつくる見事な造形 

いわき市から避難の坂本さんが仁木町で講演

仁木町の民生委員児童委員協議会の
第6回定例会が今日開かれ、
わが法人(札幌協働福祉会)職員の
坂本尚哉さん(36歳)が招かれ、
「東日本大震災被災経験者からの報告」と題して、
講演を行った。

坂本さんはいわき市から避難し、
現在は当別高岡アクティビティセンターに
勤務している。

2011年3月20日に、親戚のいる札幌に
妻子だけが避難した。

就職のあてもないまま、
避難する訳にはいかない坂本さんは
「戻る戻らないで妻と口論。
 春休みまでに戻るが、1学期までになり、
 そして夏休み終わってからに。
 震災離婚が我が身にふりかかるとは
 思ってもみなかった。
 妻からは『家と子ども、どっちをとるの!』と迫られ、
 震災より、つらかった」と振り返る。

結局、究極の選択で避難移住を選んだ坂本さん。
その選択に今は後悔はないと述懐する。

日頃、高齢者の安否確認などで
苦労されている民生委員のみなさんも
坂本さんの話に真剣に聞き入り、
最後にあいさつした協議会の会長さんは
「原発はなくさなければならない」と
締めくくった。

メガネをかけ、イメチェンの坂本さん
貴重な機会を提供いただいた協議会に感謝

2014年12月24日水曜日

山の家のクリスマス・イブ

おもいっきり冬休みの子どもたち、
北海道2日目の今日はクリスマスイブ。

ロウソクを灯して、
「聖しこの夜」を歌う。

希望の灯を消すな!
その後は、四角い線の中にみんなで立つゲ
ーム。最初は5人。A、Bチームとも合格! 
次は6人。担ぎ上げて、何とかクリアー!

8回目の仁木町表敬訪問

今日は、おもいっきり冬休みin北海道の
子どもたちが仁木町を表敬訪問。

仁木町の町長のあいさつの後、
子ども代表が挨拶する。

8回目の表敬訪問、
今回は中学1年の大誠君が
立派に挨拶した。

子どもたちにとってはいい経験。

JR仁木駅は無人駅。町役場は駅から徒歩5分。
この時期の電車には、スキーを担いだオースト
ラリア人が多い。オーストラリアは夏だが、パ
ウダースノーのゲレンデを求めて、多くのオー
ストラリア人がニセコをめざす。
連日の降雪で雪に埋まった山の家

2014年12月23日火曜日

今日から、おもいっきり冬休みin北海道

おもいっきり冬休みin山の家(北海道)が始まった。

日々の様子は、下記ブログで。
http://ameblo.jp/project-fukushima/

子どもたちはフェリーターミナルでランチ。窓の向こう
に見えるのは乗ってきた客船「きたがみ」。海が荒れて
朝食も食べれなかった児童が約2名。今は元気いっぱい。

朔旦冬至(さくたんとうじ)

昨日は冬至。
しかも、19年に一度の特別な日だった。

「朔旦冬至(さくたんとうじ)」という。

1年で最も昼間の時間が短い「冬至」と、
月明かりがない「新月」が重なった。
19年に一度しかない現象。


冬至を境に昼が長くなっていく。

一方、地球から見て
月が太陽と同じ方向にある新月は
「朔」と呼ばれ、
新たな満ち欠けが始まるものとして、
古くから喜ばれてきた。

中でも、冬至と重なる朔旦冬至は
特にめでたい日とされ、
地域によっては、祝いの対象になってきたという。

昨日は、すごくいい日だったようだ。

福島野菜便に入れ忘れた小豆、
21日に到着して
冬至に間に合ったとメールが届いた。



2014年12月19日金曜日

土井 和巳『日本列島では原発も「地層処分」も不可能という地質学的根拠』 (合同出版・2,000円+税)


おすすめの1冊

土井 和巳著
日本列島では原発も「地層処分」も不可能という地質学的根拠
(合同出版・2,000円+税)


 著者の土井さんは、昔の動燃(動力炉・
核燃料開発事業団、いま日本原子力開発研
究機構)の主任研究員を務めた人物。

 1990年に定年退職してからは、
「幌延の地質は処分研究に向かない」と発表。
「贖罪の一片」にと本書を上梓したそうだ。

「地層処分が不可能であるにもかかわらず、
 原子力発電所を今後も稼働することは高
 レベル放射性廃棄物の処分問題をさらに
 上積みすることにほかならず、無責任を
 さらに上積みすることに等しい」
推進側にいた人の発言だけに重みがある。
(紹介記事はこちらに)


2014年12月18日木曜日

爆弾低気圧、続報!

道東ではひどい被害をもたらした爆弾低気圧。

札幌や小樽では16日夜に
時ならぬ横殴りの雨が降ったほかは
天候が荒れることはなく、
幸いにも肩すかしを喰ったかっこう。

ところが、雨の影響で
圧接状態の雪がまだらに解け
道路状況は最悪。

その上、夜間の冷え込みで道路が凍ったりして、
事故が相次いだ。

一昨日、昨日、今日で
何件の事故を見たことか。

年末の事故は避けたいもの。
安全運転でいきましょう!


強運、北海道野菜便が無事到着


爆弾低気圧で
《北海道〜福島》野菜便への
影響が心配された。

山の家からの荷物(ゆうパック)は
余市郵便局経由で札幌中央郵便局に集荷。

栃木便は千歳空港から航空便で羽田空港に届き、
コンテナをばらして、
新東京郵便局経由で栃木に陸送する。

送り状に書いてあるお問合せ番号で、
ポイントの郵便局通過を確認できる。
(フェリーや飛行機の欠航の有無では確認できない)

昨夜の段階では、
札幌中央郵便局は確認できたが、
新東京郵便局通過の確認はできなかった。

福島便は陸送で函館まで行き、
青函フェリーで青森経由、
高速道路で福島へ届く。

函館は昨日午前2:55通過で確認できたが、
福島の郵便局は夜中に入る予定で
昨夜は確認できなかった。

今朝、栃木便と福島便の両方とも
各県内の郵便局を通過したことを確認。

青函フェリーも飛行機も
欠航が相次いでいたのだが、
今日、時間内ギリギリのところもあったが、
予定通り到着したようで、ひと安心。

誰が名付けたのか知らないが、
爆弾低気圧のお陰で
野菜便が届く経路がわかった。
(余湖農園のクロネコ便も遅延なし!)




2014年12月16日火曜日

うれしいメール

山形に避難されているWさんは
「おもいっきり夏休みin山の家」に参加している
じゅんぺいのお母さん。

今回から、《北海道〜福島》野菜便に参加。
14日に送った野菜が
予定通り着いて、いただいたメール。
ありがとうございます。

********

首を長~くして待っていたお野菜が先ほど たっくさん届きました!
ほうれん草の大きいこと!
まいたけもゴボウもいい香り!

あれ以来食べさせていなかった椎茸に惇平は
「明日の朝は焼いて醤油をかけて食べよう!」と大喜び!

りんごも玄米もお味噌もきなこも
美味しそうで早く食べさせたい!!

ヤーコンは初めましてなので
食べ方を検索して・・・!

冷蔵庫もいっぱいになって私は本当に幸せ!
疲れを忘れて夢中で料理をしました。

仕入れの手配から発送まで、
大変な作業を本当にありがとうございました。
明日からモリモリ食べさせます!

爆弾低気圧

今年最後の《北海道〜福島》野菜便、
今日無事に発送を終えた。

今回も安斎夫妻はじめ、
近くの農家のお母さんたちの
お手伝いをいただき、大助かり。

「北海道からの応援で生活が
 成り立っています…本当に感謝です」
というメールをいただいた。

欠品があれば、
がっかりするだろうと思い、
走りまわる。

セロリは南小樽市場で手当てし、
送ることができた。

それでも、
代替え品を確保できなかった欠品があった。

夕方6時、無事に発送を終えたが、
天気予報は今晩から大荒れ。

時ならぬ雨が横なぐり、
強い風が吹き付ける。

高速道路は事故で通行止め、
国道はあちこちで事故が相次ぐ。

最悪の天気状況。
18日に福島に野菜が
予定通り着くか心配。

ゆうパック取り扱いの
余市郵便局に電話しても、
「いまのところ遅れは出ていない。
 これからのことは何とも言えない」
と言うばかり。

これまでも台風に向かって
トラックを走らせたことがあった。

強い気持、熱い気持で
爆弾低気圧をぶっ飛ばせ!

横殴りの雨が道路をたたきつける(小樽市内)

2014年12月13日土曜日

明日の天気は大荒れ?

札幌は道路も乾いていたが、
余市に入ると一面銀世界。

さらに、山の家周辺は
しんしんと
雪が降っている。

明日の朝は
どのくらい、積もるかな?



2014年12月7日日曜日

マッサンゆかりの町「よいち情報館」オープン


NHKの連続朝ドラ「マッサン」で
余市が一躍、脚光を浴びている。

町の中心部に先月オープンしたばかりの「よいち情報館」。
マッサン・リタ夫婦の情報がいっぱい。

余市と名のつく物は飛ぶように売れ、
ニッカ工場も観光客は倍増という。

 先月29日郡山での避難・保養相談会でも、
「山の家はマッサンの舞台となった余市がすぐそば」
 というと話しが早かった。

シャッター通りに突然現れた「情報館」 
ニッカ余市工場

学習塾スコーレユウの25周年


今日は、札幌のオルタナティブ学習塾
「スコーレユウ」の25周年の集いに招かれ、
昼間の学習会では、札幌協働福祉会の
フクシマ支援の活動を話させていただいた。

スコーレユウさんとは、2年前と昨年の夏休み、
中学3年生を対象にした受験勉強付きの保養を
一緒にさせていただいた。

そのうちの2人がいま、札幌の高校に入学し、
避難生活を送っている。

今年は、<北海道〜福島>野菜トラック便に
同乗してくださり、野菜の荷下ろしの後に
現地郡山などで学習支援を行った。

社会福祉法人が被災地支援を行っている例は
全国的にも珍しいが、学習塾の被災地支援は
皆無と言っていいだろう。

その一方、大手の塾が乱立している中で、
しっかり地域に根付いて活動してきた25年間に
心から敬意を表したい。
会場のアートホテルズ札幌、24階からの眺めがすばらしい。
豊平川にかかる9条橋を渡ると中の島
夜景もきれい 
若い人もしっかり育てているスコーレユウ


2014年12月6日土曜日

郡山で、送り出し側と受入れ側が意見交換(2)

「保養のことを話すと
 えっ、まだ保養に行ってるの?と
 びっくりされる」
「うちの学年で保養に行っているのは、
 うちの子だけ」

一方で、
「保養に行かないの?」という言葉が、
お母さんを追い詰めるという。

周囲の反対で保養に出せないつらさに
その言葉が突き刺さる。

関心を持っているお母さんも
保養のことは口に出せない。

保養に行かせたくても、
夫や夫の両親が反対し、
「ここではあきらめないと生きていけない」
とまで言う。

被災地の人々の心のありようは
ひとくくりできない複雑な様相を呈している。
ただ、意識の乖離が深まっているのは
間違いないようだ。

「復興派、保養派と分かれているが、
 お互い尊重しなくていいから、
 邪魔しないでほしい」
---- という人も。

毎年、保養に送り出してきたが、
お金がかかり、保養貧乏になった。
---  といった声も。

保養の受け入れ先が減っている一方、
募集したけど応募がなかったという受け入れ先も。
保養ニーズのミスマッチが起こっている。

そんな中、
「いつまでも被害者ではなく、
 当事者意識を持つべき」
「送り出し側の底上げを」
という被災地にきびしい意見も出た。

送り出し側のSさんは、
「『補助金がなくなってまで、保養をする必要があるのか』
 という声が内部に出てきており、事業の継続が心配。
 送り出し側の活動も大変な状況にあることを
 受け入れ側も考えてほしい」と訴える。

被災地のお母さんたちを
どうエンパワメントするかが
これからの大事な課題であり、
送り出し側、受け入れ側の壁を取り払って
一緒に課題と活動を共有していくことが
必要と感じた。

30日、郡山で開かれた「いのちと希望の全国交流集会」

郡山で保養の送り出し側と受入れ側が意見交換(1)

福島県郡山市で11月30日、
「いのちと希望の全国交流会」が開かれ、
保養に送り出している側と
全国で受け入れている側が一堂に会し、
ワールドカフェ方式で
それぞれの苦悩や課題について意見交換した。

東電原発事故からもうすぐ4年。
双方ともさまざまな課題を抱え、
ひとつの転機を迎えているが、
こうした形で交流の場ができたことは
大きな成果だ。

新潟県佐渡の古民家で
保養キャンプを実施している関さんは
「古民家でのなつかしい暮らし方を通して、
 どんな暮らし方、どんな社会をつくっていくのか、
 それを考える場にしたい」と語る。

保養の目的が、
放射能から切り離すということだけでなく、
こどもたちの生きる力を育てていく場として
自然学校などプログラムや実施方法に
それぞれが工夫をしている。

ただ、被災地の行政側の施策が
復興型・帰還型に重心を移しているため、
ますます放射能のこと、保養のことを
保護者サイドで話題にしづらくなっている。

「保養」という言葉さえタブーで、
一時は「リフレッシュ・キャンプ」と
言い換えてきたが、
最近は、行政に出向いた時も
「保養」を使えるようにはなってきた。

しかし、送り出し側の女性は次のように言う。
「行政側にとって、保養が
 脅威ではなくなってきたからです」
(つづく)

ワールドカフェ方式で意見交換