「チッソは私であった」(緒方正人著、葦書房、2001)
今年61歳の緒方さんは、不知火海で
いまも漁を続ける。
「水俣病事件が突きつけているのは、
認定や補償という現象的なことではなく、
生きる意味」
「目の前でとれる魚(いお)、タコや貝、
うしろの山では、ワラビやゼンマイがとれ、
虫や鳥、そういう世界が壊された事件」
「そういう世界に生かされ、一人ひとりが
命の存在としてさまざまな命とつながって
生きている」
緒方さんは、自分が突き抜けた地平に
「無量の世界がここにある、
冥加とはこのことだと感じましたね」
と語る。
裁判や認定申請という制度の中での運動、
相手はころころ変わる役人だったり、弁護人だったり。
たたかう相手のチッソが見えてこない、
人間に会いたかったと
1985年、患者としての認定申請を取り下げる。
「チッソとは何か、私がたたかっている相手は
何なんだと考えた先に気づいたのが、
巨大な『システム社会』。それは時代の
価値観が構造的に組み込まれている、世の中」
「私たちも『もう一人のチッソ』。
“近代化”や“豊かさ”を求めたこの社会は、
私たち自身。
この自らの呪縛を解き、そこからいかに
脱していくかが大きな問いとしてある」
ここには、「チッソの責任を曖昧にする
一億総懺悔論」という批判を超える、
3.11を経験したいまも答えを持たず、
私たちが問い続けなければならない
課題が提示されている。