2014年1月2日木曜日

フクシマのお母さんからの手紙(2)


娘たちへ…

あなたたちを守りたい。
ただただその一心で
生後5か月の妹を
無理やりおんぶして、

2歳4か月のお姉ちゃんを
ベビーカーに乗せて
郡山の家を出てから
2年近く。

大好きなお父さんと
離れ離れの避難生活、
本当によく頑張ったね。

半年の間に8回の
引っ越しを繰り返して、
時には120世帯を超える
家族との共同生活。

まだ聞き分けも
できなくて、
でも他の人に迷惑に
ならないように
ならないように…と

家にいたなら、
お父さんと一緒だったら
叱らなくてもいいような
ことでたくさんたくさん
叱ってしまって…

それでも
お母さん大好き!と
胸に飛び込んできてくれる
あなたたち…

たくさんたくさん
我慢をさせましたね。

母子3人での避難生活に
区切りをつけて、
郡山の自宅に戻って
5ヶ月近く

もう、「静かにしなさい。」
「走っちゃダメ。」
なんて言わなくてもいい。

リビングを走り回って
大声で笑って、
お父さんに
たくさん甘えて、

家族が家族らしく
言われる場所に
居られることの
ありがたさを
痛感しています。

でも…寝る時、
毎晩のように
「ずっと郡山?」と
不安げな瞳で
あなたたちに聞かれる度、

どれだけの我慢を
させてきたのだろう、
と胸がキュンとします。

お天気が良ければ
庭に出て
芝生の上を転がって、
ウッドデッキで
昼ご飯を食べて…

そんな何気ない
日常の幸せを
全部奪われてしまって。

誰を責めたらいいのか…
ひとたび事故が起きれば
誰も責任を
取ってくれないことを
痛感する毎日。

一歩外に出れば
風の強い日にはマスク。

放射能オバケがいるから
石も葉っぱも
花を摘むこともできない、
公園で遊べない暮らし。

幼稚園が変わった
お姉ちゃん、
園で描いてきた絵。
「これは誰?」と尋ねると、

描かれたお友達を
指しながら、
新潟で仲良くしてもらった
お友達の名前を
ニコニコしながら
挙げるお姉ちゃんに、

親として
郡山に戻るという判断は
本当に正しかったのかと
涙がボロボロと
こぼれました。

戻ってきた決断が
揺らぐとき、
新潟で支援してくれた
ある人の言葉を
思い出します。

「みんな、今、
一番ベストな道を
考えて選択している。
この選択こそが
ベストなんだって思って、
その選択に自信を持って。」

郡山に戻ることを
決めたものの
気持ちが揺らいでいた
お母さんに、
そう言ってくれました。

その他にも
ここには書ききれないほど
多くの人たちに
支えられて励まされて、

今ここに
お母さんと
あなたたちがいます。

みなさんに
助けていただいたおかげで
今の自分がいます。

そういう方々に
元気でやっていますと
笑顔で胸を張って
成長の報告が
できるような人で
あってほしい。

困っている人がいたら、
悩んでいる人がいたら、
あなたたちのできる範囲で、

励まして
勇気を与えることが
出来るような存在に
なってほしいと
お母さんは願っています。

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