「鄙を生きる」とは、生きる姿勢であり、
運動として社会を変える新しい思想なのだ
----- と田中優子は言う。
『東北発の震災論』の著者、山下祐介は
3.11の日は青森県弘前市にいた。
弘前は地震の被害はほとんどなかったが、
電気、ガソリンの流通が止まり、
店に品物が無くなったという。
私たちは広域システムに組み込まれ、
何もできなくさせられている。
続けて田中は言う。
「鄙の本当の存在理由は
人を自然界に結びつけ直し、
人をまともに育ててゆく力だ」
「鄙の存在を生かし、その自然を
人間が生きる方法とすることは
できないだろうか」
少子高齢化で高齢者は都市に集まり、
地方は壊滅すると言われるが、
電力や食料、教育、介護を
国家的仕組みに頼っているからで、
地域ごとの仕組みが作られていけば、
コミュニティで生きるための仕事が生まれる、と。
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