2012年12月31日月曜日

年忘れもちつき大会

  仁木町の町民有志の方々が10月にもちつき大会を今年初めて実施しました。近所の子どもたちにお餅をついてもらい、一緒においしいお餅を食べてもらう。伝統行事・伝統文化としての餅つきを保存し、子どもたちに伝えたい。そして、まちおこし、町内会おこしにつながればということで、仁木町北町の有志のみなさんが一念発起したのです。ゆくゆくは仁木町の一大イベントにしたいと豊富を語っています。
 その町民有志の方々が、福島の子どもたちが冬休みに来るならと、全面的な協力で今回、山の家で「もちつき大会」が実施できることになりました。










2012年12月29日土曜日

1年ぶりに訪ねた岩手県大槌町

 12月3日、約1年ぶりに大槌町安渡地区を訪ねた。むき出しのコンクリートの基礎が続き、雑草が生い茂っている荒涼とした風景がどこまでも広がっているだけで、1年前と何も変わっていないことに驚いた。10数兆円の復興予算がすでに消化されたと聞くが、ここでは復興の槌音さえ始まっていない。
 大槌町社協の生活支援相談員のSさんに「何も変わっていないですね」と言うと苦笑いされた。一応、高台避難は決まったが、これから用地交渉で、まだ用地確保の見通しも立っていないという。来年3月で仮設住宅の2年という制度的な期限が来るが、なし崩し的に「仮設生活」が延々と続きそうだ。
「東北人は我慢強いと言われるが、もう限界だ」
「なかなか町民の眼に復興の姿が見えて来ないので、苛立ちがつのっている」
「仮設にいる弟は、先が見えず、希望も見つけることができないので、生活もすさんできている」
ーーといった声が聞こえてくる。

安渡小学校から大槌湾を望む

むき出しの基礎と雑草が延々と続く。1年前と違うところは雑草が生えていることだけ



大槌町役場も3.11当時の姿そのまま

2012年12月24日月曜日

雪遊び その2

 雪のなかに首を突っ込んでいるのはだれだ?大丈夫か!?

大輔か!生きていてよかった。




もう一人いた!

雪遊び

 雪の中に埋まっているのは智哉。早くも雪原で雪遊びを始めた子どもたち。




クリスマスイブ

 子どもたちの到着を待つ山の家。天候不順が続いていた冷水峠も今日は、子どもたちを歓迎するかのように快晴だ。苫小牧港フェリーターミナルからいま、こちらに向かっている子どもたちの眼に冬の北海道はどう映っているのだろう。


稜線に広がる樹氷

福島の今を知るミニスタディツアー(3)


 その土嚢袋には、重さが書いてある。ほとんど2トン弱だ。また、線量も書いてある。4.3μsの文字を見つけた人が持ってきた線量計をかざすと何と同じ数値を示した。
 伊達市は除染に力を入れている自治体で、原子力規制委員会の田中俊一委員長がかつてここで除染を先導した。この除染のために、今年度、市の予算と同じ240億円を使っているという。
 除染が終わった家があれば、まだこれからという家もある。ホットスポットの見つかった小国小学校に今も子どもたちは通学している。放射能との終わりのないたたかいをしながら、人々が生活している汚染地の実情を多少なりとも知ることのできた貴重なスタディツアーだった。




福島の今を知るミニスタディツアー(2)


 柿の産地でもあるこの地域は、道の両側に柿畑が点在し、どの木もたわわに実を付けている。例年ならとっくに収穫が終わっているのだろう。ところが、放射線検査の結果今年も出荷停止になった。柿の木はどの程度の効果があるか分からないが、除染のために軒並み木の皮が剥かれ、無惨な姿をさらしていた。
 さらに車を走らせると、空き地や畑、川縁などに黒や青の大きな土嚢袋が2段、3段と積み上げられた仮置き場が次から次へと目に入ってくる。中には放射能に汚染された田畑の土や草木、廃棄物が詰まっているのだ。青いビニールシートの上に砂利を敷き、その上に土嚢袋が積み上げられ、その上空には何とピンクのリボンをつけたロープが張られている。どうやら、放射性廃棄物の目印になっているようだ。次の保管場所が決まらないまま、どんどんどんどん土嚢袋が増え、おぞましい光景が里山にこれからも広がっていくのだろうか。



2012年12月23日日曜日

福島の今を知るミニスタディツアー(1)


 伊達市での相談会当日(12/2)早朝7時から、「福島の今を知るミニスタディツアー」が<NPO法人りょうぜん里山がっこう>の関久雄さんの企画で実施された。
 「福島に暮らす者にとっては福島のことを知って欲しいという想いがあります。福島にきていただいて、各地の受け入れプランを紹介していただくのはありがたいですが、同時に福島の現状を知って欲しい、それが受け入れの中身を高めるものにつながると考えます」というのが、関さんの思いだ。
 伊達市霊山町にある小国小学校の雨口から500μs/hを超えるホットスポットが見つかったのはこの9月のこと。里山風景が広がるこの小国地区がミニツアーの実施場所だった。
ホットスポットが見つかった小国小学校。今も子どもたちが通う。

小学校の脇の空き地で放射線量を測る

「ほよ〜ん相談会」こぼれ話(2)

 郡山の相談会には、夏休みに<山の家ゲストハウス>で過ごした家族のみなさんがたくさん会いに来てくれました。いろんなことがあったけど、あの夏の出会いはかけがいのないものだった。不幸な原発事故だったが、そこから生まれている人と人のつながりをこれからも大事にしていきたいと思う。

小原月遥(つきはる)君と羽衣(うい)ちゃん

大崎さん(右)は白河から、小原さんは相馬から。

前列右から、相馬の伊藤さん、脩平(しゅうへい)君、滉介(こうすけ)君。
後列右から、我妻さん(郡山)、大崎さん。

「ほよ〜ん相談会」こぼれ話(1)

 12月1日の郡山避難保養相談会では、野口倫太郎クンが全国から集まった受入れ団体のなかに混じって、事前打ち合せに参加。立派なごあいさつもしてくれた。
 前の晩は倫太郎クンのマンションに泊めていただいた。そのときに見せてもらったのが、写真の賞状。なんと福島県少年合気道大会で第3位となったのだ。すごいぞ、倫ちゃん!
 明日から山の家で始まる「思いっきり冬休み」の保養事業だが、残念ながら倫ちゃんは参加しない。お正月は千葉の祖父母に顔を見せに行くそうだ。来年の春休みには絶対、おいでよ。









2012冬保養プログラム・ほよ〜ん相談会の報告(2)


里山にも多くの相談者の姿 
 2日は伊達市の「りょうぜん里山がっこう」での相談会。「りょうぜん里山がっこう」は廃校となった小学校を活用して、自然豊かな環境の中でのさまざまな体験学習を通じて、田舎暮らしの良さを発信していこうと12年を超える活動を展開してきた。関さんはここで本当に人間らしい生活と地域をつくっていこうとしていたが、原発事故はそうしたすべてを壊そうとしている。
 里山の風景を見ながら奥へ奥へと入っていったところに里山がっこうはあった。ここまで相談者は来るのだろうかと思いきや、午前10時から始まるや次から次へと相談者が訪れた。
 むすびばのブースには12組の相談者が見えた。半分は伊達市、残り半分は隣の桑折町や福島市内から来られた方々。冬休みの保養先を探している方が多かったが、乳児と一緒の受け入れ先が見つからないと来られた方もいた。ここ仁木町のシェアハウス「山の家」を情報提供した。20代の独身女性は北海道の農業に関心を示していた。農業分野での雇用創出も急がれる。農村地帯のせいもあってか、ご夫婦の来場が目立ち、お父さん主導で相談する姿も見受けられた。



二日間の相談会を終えて
 「声をあげにくい空気の中」で押し寄せた相談者。この相談会はFace to Faceで話すことのさまざまな意義を持っており、今後も継続することが重要だが、それだけで充分かというとやはり、ワンストップの常設相談窓口が最低限、郡山市・福島市・いわき市にほしいと思った。
 また、今後も継続して保養避難の情報提供しますよと言うとほとんどの方が名前と住所、アドレスを書いてくれた。必要としている人にきちんと避難保養の情報が届く仕組みの早急な検討が必要と感じた。
 今回も持ち帰って対応という案件がいくつかあった。都営住宅に避難した方が札幌に2次避難先を探しているが、応急仮設の適用がされないので困っている。仕事と避難をセットで求める人が複数いた。保養避難のニーズは少なくなっていない。むしろ、避難のニーズが今後増えそうな印象を受けた。応急仮設の提供制度が12月28日で廃止になれば、住宅の確保も私たちの重要な仕事になってくる。雇用も含めた避難受入れの高次な仕組みづくりが必要になっている。


2012冬保養プログラム・ほよ〜ん相談会の報告(1)


北海道から4団体が参加
 3.11受入全国協議会が発足して初めての「2012冬保養プログラム・ほよ〜ん相談会」が12月1日郡山総合福祉センター(郡山市)で、2日りょうぜん里山がっこう(伊達市霊山町)で開催された。1日は安全・安心・アクションin郡山(略称3aの会、野口時子代表〜倫太郎君のお母さん)、2日は「NPO法人りょうぜん里山がっこう」(関久雄事務局長)との共催。
 相談会には、全国から20を超える受入れ団体が参加。北海道からは、むすびば・札幌協働福祉会・旭川サポートネットワーク・大沼駒ヶ岳ふるさとづくりセンターの4団体が参加した。

次々と相談者が押し寄せた郡山相談会
 1日の郡山の相談会は、午後1時の開始と同時に各ブースとも相談者が途切れることなく押し寄せ、まだまだ人々が不安の中で生活していることを浮き彫りにした。私にとっては、夏休み前の相談会とまったく同じ光景の再現で何と表現していいのか、言葉が出なかった。
 野口さんの「声をあげにくい郡山全体の空気のなかで、こんなに多くの人が集まるとは思わなかった」という言葉が印象的だった。
 むすびばのブースには、24組の相談者が訪れた。地元郡山だけでなく、須賀川市、大玉村、福島市、会津若松市、そして隣県の那須塩原からも。相談内容は冬休みや春休み保養の相談だけでなく、避難移住の相談が少なくなかった。
郡山から会津若松に避難された方は、一時避難してそのままそこに移住ということを考えており、就職口もある避難・移住先を探していた。今年1月から都営住宅に避難した方は、子どもの咳がひどくなり、東京に住めないと判断。札幌への避難移住を相談された。いずれもまず母子で避難して夫が続くという順番。12月28日で県外避難者向け住宅支援打切りという動きから避難を急ぐ方もいらっしゃった。
 受入れ先がないというダウン症のお子さんの保養相談があり、札幌協働福祉会に問い合わせたところ、冬休みキャンプの受入れOKとの返事をもらった。先方に連絡したが、来年夏に参加させていただきたいとのことだった。

2012年12月22日土曜日

フクシマの人の詩


 NPO法人りょうぜん里山がっこう(伊達市)の関久雄さんが詩をつくりました。
 12月15~17日のIAEA「原子力安全に関する福島閣僚会議」への抗議行動や申し入れのあと、その日の夕方からの「市民交流会」で東京からの参加者に、「福島の人はもっと怒っていいと思う」と言われ、そのことをいろいろ考えてしまい、それを詩にしたそうです。
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なんで なんで

なんで 逃げないの 
こんなに 放射能高いのに

なんで 怒らないの
こんな 仮設に住まされて

なんで 野菜つくるの
これだけ ベクレルがあるのに

なんで なんで マスクしないの
こんなに 漂っているというのに 

すんません たぶん 
マヒしてるんです ホウシャノーに
すんません 
めんどうくさく なってるんです
ホウシャノーに

生活の 保障がないと逃げられない
これからの 希望がないと出られない

除染して ゼオライトを撒いて
セシウムよ 出るなと 手を合わせた農民の
そのお米は 食えなんだ 
自分の子どもには 食わせなんだ

海に出た 漁師の魚も 食えなんだ
自分の子どもには 食わせなんだ

人の 犠牲に成り立つ文明の有りようの
それが原発と知ったから

まことに 怒るべきものは何なのか
まことに 深めるべきことは何なのか

2012年12月20日木曜日

「思いっきり夏休みin北海道」ブログが冬バージョンでスタート

 昨年と今年と2回にわたり、ブログで「思いっきり夏休みin北海道」の子どもたちの様子を福島の保護者のみなさんに送り届けて、大好評をいただいてきました。そのブログが再開しました。子どもたちは24日に山の家に到着です。雪に埋もれた山の家に来ての第一声が楽しみです。
http://ameblo.jp/project-fukushima/entry-11428167731.html#cbox

2012年12月14日金曜日

大雪山から雪の便り

 山の家に一時滞在し、大雪山のホテルに住み込みの働き口を見つけた恵さんから、写真の便りが来ました。さすが大雪山、背丈を超える雪の量です。 恵さんは元気でやっています。年明け1月末までには山の家に戻って来たいと言っています。待ってるよ〜!(写真左の人は同じ宮城県からの避難者。すぐ友達になったそうです。)



2012年12月10日月曜日

レッドムーン(じゃがいも)

 野菜の話題をもうひとつ。今月1、2日に郡山と伊達市で避難保養の相談会があり、私も山の家のゲストハウスの情報等を持参して参加した。
 当日来場者に北海道のジャガイモ(1kg詰め)とりんごをプレゼントした。ジャガイモは恵庭産のレッドムーン。皮が赤く実が黄色い品種で、形崩れしないので何にでも使える。

帰ってきたら、川俣町のお母さんから、以下のメールが届いていた。
****************
じゃがいもとっても美味しいです。
お弁当の煮物に入れましたが、煮崩れなくきれいに出来ました。
美味しいものを食べて、明日に希望を持って進みたい!...なんて格好つけて思っています。
小さなグループですが、小ささを活かした活動ができるように今泉さん達と志を同じくして頑張ります!
ありがとうございました!
*****************
  そのあと、またメールが来て、まだ在庫があれば注文したいとのこと。農家に連絡するとまだ60kg残っているとのことで、早速送ってもらった。



店番(?)をする旭川サポートネットワークのK君(福島県伊達市)

2012年12月9日日曜日

北海道の野菜へのラブレター

 もうひとつ、先月17日の話しで恐縮です。健康棒ワークショップで訪れた白河市。大崎さんからラブレターの入った袋をいただいた。中には色とりどりのラブレターが入っていた。文面は「北海道の野菜がおいしかった」「これからも福島を忘れないで」。残念ながら(?)、北海道の野菜へのラブレターでした。
 夏休みにゲストハウスに滞在されたお母さんたちから北海道の野菜購入の要望が強かったので、今秋から、恵庭の余湖農園の野菜の通信販売をこじんまりと始めた。大崎さんたちのお母さんグループが共同購入をしてくださったのだ。来年はもっと大規模にできたらいいな!

プランターでキャベツ


 先日の健康棒のワークショップで福島県川俣町の農村広場仮設住宅を訪問した。その時に目にしたのが、白菜やキャベツが栽培されていたプランター。プランターでもこんな立派なキャベツや白菜ができるんだとビックリ。それ以上に、作っている人の思いがジーンと伝わってきた。
 この仮設に住んでいる方々は高度に放射能汚染された川俣町山木屋地区の住民。ほとんどが農家で「野菜なんて買ったことがなかった。毎月、東京の娘に段ボールに詰めて送っていたくらい。情けないことに今は買わないといけない」とおっしゃっていた。
 望みはひとつだけ。「戻って農業をしたい」。
 以前は毎日畑に出て、土をいじっていたのが、今は何にもすることがなくなってしまったという。

川俣町・総合運動公園仮設住宅にて

2012年12月8日土曜日

昨日の地震のこと


 昨日の地震は「山の家」も揺れた。結構、揺れた時間が長かったので動揺したが、物が落ちたりはしなかった。テレビは、アナウンサーが「東日本大震災を思い出してください」「命を最優先にしてください」などと切迫した口調で避難を呼びかけていて被災地の方を心配したが、大きな被害もなく一安心。「おもいっきり夏休み」の参加者の何人かのお宅に電話したところ、みなさん無事でした。いわき市の方が「津波を心配したが、なにもなくて良かった」と話されていました。原発の方も異常はなかったようで何よりでした。
 (先日の登別の停電騒ぎで、小樽も一部停電になったと報道されて、山の家を心配してのメールを、ここに一時避難されたご家族からいただきました。でも、山の家は大丈夫でした。ご心配いただき、ありがとうございます)


福島プロジェクト実行委員が入山

 6〜7日に福島プロジェクト実行委員が「入山」し、冬休みプロジェクト準備作業の最後の仕上げを行った。といっても、6日も7日も吹雪で、フレンドハウス室内の窓のビニール貼りや清掃が終わった後は、終日除雪に追われた。屋根から落ちる雪が山になっていたり、「山の家」の雪の量は半端じゃない。毎日が雪とのたたかいと言っていいかもしれない。それでも、札幌協働福祉会職員総掛かりで行ってきた「冬の福島プロジェクト」の準備は万端に整った。あとは毎日除雪をしながら、子どもたちを迎えるばかり。
 引き継いだ時の荒れ果てた施設がこんなにも素敵な施設に生まれ変わったのは、職員の力以外の何ものでもない。その総合力に敬服するばかり。